因果応報→アルカイダの「標的選定委員会」で、アメリカのホワイトハウスへの原爆投下の可能性が討議されていますか?.皇居への原爆投下を討議=45年春、標的選定委員会−米 2007年8月5日(日)16:00 【ワシントン5日時事】1945年(昭和20年)8月に広島、長崎に原爆が投下される約3カ月前の同年春、米国の原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」を指導した核物理学者オッペンハイマー博士らも出席した「標的選定委員会」で、東京・皇居への原爆投下の可能性が討議されていたことが、米国立公文書館所蔵の委員会議事録により裏付けられた。 議事録の存在はこれまでも知られており、皇居を含む東京はその後、標的から外されたまま終戦を迎えたとされる。しかし、議事録は、45年春の激しい沖縄戦の最中、国体の頂点に位置する皇室への原爆攻撃も辞さない強硬意見が米軍部と原爆開発に当たった科学者の間に根強かったことを物語っている。 議事録によれば、米軍の超大型爆撃機B29部隊を統括する陸軍戦略航空軍の幹部軍人やマンハッタン計画にかかわった科学者が出席した同委員会は、少なくとも2回にわたって東京への原爆攻撃を検討した。 同年4月27日にワシントンのノースタッド米陸軍戦略航空軍後方司令官(准将)の会議室で開催された初会合では、マンハッタン計画の最高責任者グローブズ少将も出席。委員会は「東京は(3月の大空襲で)焼き払われ、がれきの中に皇居が立っているだけ」(議事録)と指摘しながらも、「東京は一つの可能性」と位置付けた。(続) [時事通信社] http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-05X962.html
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